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おはします。前の上野のかみ源の顯俊のむすめの御腹となむ。みかどの誠の御母の事は、さきに申し侍りぬ。この中宮、二條のみかどおはしまさねども、今のこくもとて、猶內におはしませば、昔にかはれる事なくなむおはしましける。臨時の祭の四位の陪從に、淸輔ときこゆる人、催しいだされて、參られたりけるに、先帝の御時は雲の上人なりけれど、この世にはまだ殿上もせねば、たちやすらひて、北の陣の方にめぐりて、后の宮のおはします、御たちの局町など見るに、また殿上のかたざまへ參りて、遙かに見わたしなどしけるにも、昔にかはりたる事もなく、なれならひたりし人どもの見えければ、后の御方の人に物など申しけるついでに、檜扇の片つまを折りてかきつけて、ごたちの中に申しいれさせける、

  「むかし見し雲のかけはしかはらねど我が身一つのとだえなりけり」。

いとやさしく侍る事ときこえ侍りき。

     二葉の松

さて、後一條の院の御時より近きやうに侍れど、十代に御世餘らせ給ひけり。今は當今の御事申すもはゞかり多く侍れど、事つゞきにおはしませば、事新しく侍れど申すになむ。當帝は一院の御子、御母は皇后宮滋子ときこえさせ給ふ。贈左大臣平時信のおとゞの御女なり。みかど應保元年かのとの巳の年生まれさせ給ひて、仁安元年十月十日東宮にたゝせ給ふ。御とし五つ。みかどよりも、二年兄にておはします。あに東宮は三條の院の例なるべし。同三年二月十九日、位に即かせ給ふ。御年八つにおはします。同じみかどゝ申せども、世の中隔てあ