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ぜさせ給ひけむかし。かの入道事にあひ、世にあさましき事ども出でまうできてぞ、內宴もたゞ二年ばかりにて行はれぬ事になりて侍るにこそ。其の事のとがにや侍らむ。猶もあらまほしき事なれど且はしたつる人もかたく、久しく絕えたる事を行はれて、世のさわぎも出できにしかば、時におはぬ事とてはべらぬにや。春のはじめに詩作りて、上達部より下ざま、たてまつる事、かしこき御時、もはらあるべき事なり。さる事もはべらば猶いみじかるべし。二月廿四日、きさき立ち給ひき。鳥羽院の姬宮にて、高松院、東宮の御時より女御におはしましゝ、中宮に立ち給ひて、もとの中宮は院のきさき、公能右大臣の御むすめ、皇后宮にあがり給ふ。ことしぞ大甞會ときこえ侍る。御かたがた侍ひあはせ給へりしも、皆まかりいでさせ給ひにき。此の御時は、いまだ御かたがたも、おはしまさぬ程なれば、上は淸凉殿ばかりに、常のやうにおはしまして、藤壺には、中宮ぞおはしましける。殿の御とのゐ所は、猶宣耀殿なり。いづくも廣らかにていとめでたく聞こえ侍りしにその年のしはすに、あさましきみだれ都の內に出できにしかば、世もかはりたるやうにて少納言の大德もはかなくなり、めでたく聞えし上達部、このゑのすけなどきこえし子ども、あるは流され、あるは法師になりなどしていとあさましき頃なり。信賴の右衞門の督と申しゝは、かの大德が中あしくてかゝるあさましさを、しいだせるなりけり。御おぼえの人にて、いかなるつかさもならむと思ふに、入道諫むるをいぶせく思ひて、軍を起したりけるを、大とこさとりて、行くかた知らずなりにけるに、彼のみかきもりも、その報いに、思はぬかばねになむなりにける。いとあさましと