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らむ、神佛の御事、かたがたおこしたてまつらせ給へる、かしこき御心ざしなるべし。みくま野まうで、年每にせさせ給ひ、ひえの山、高野などきこえ侍り。然るべき御ちぎりなるべし。今は御ぐしおろして、法皇と申すなれば、いかばかり尊くおはしますらむ。御子たちも、おのおの道にとりて、ざえおはしますこときこえさせ給へるこそ、たれも知らせ給へることなれば、何とかはさのみ申し侍るべきな。されども事のつゞきを申し侍りつるなり。

     をとめの姿

二條のみかどゝ申すは、此の院の一の御子におはしましき。此のをさなくおはします新院の御おやにおはします。其の御母右大臣有仁のおとゞの御むすめ、誠の御親は、經實の大納言におはす。このみかど、東宮にたゝせ給ひて、保元三年八月十一日、位につかせ給ひき。御年十六とぞ承はりし。十二月二十日御即位ありて、年もかへりにしかば、正月三日、朝覲のみゆきとて、院へ行幸せさせたまふ。二十一日、ことしも內宴ありて、上達部七人、四位五位十一人、ふみ作りてまゐると聞こえ侍りき。序は永範の式部大輔ぞかゝるゝとうけたまはりし。題は花下歌舞を催すとかや。法性寺のおとゞ奉りたまへりとぞ聞こえ侍りし。舞姬ことしはうるはしき女舞にて、日ごろよりならはされけるとぞ、聞こえ侍りし。通憲の大德、樂のみちをさへ好みしりて、さもありぬべき女ども習はしつゝ、神の社などにもまゐりて、舞ひあへりと聞き侍りしに、ゆかしく見ばやと思ひはべりしかど、おいのくちをしき事は、心にもえまかせ侍らで、さる所どもにえまゐりあはで、見はべらざりき。此の御中には定めて御覽