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かくて年もかはりぬれば、朝覲の行幸、美福門院にせさせ給ふ。誠の御子におはしまさねども、近衞のみかどおはしまさぬ世にも、國母になぞらへられて坐します。いとかしこき御榮えなり。又東宮行啓ありて、姬宮の御母とて、拜し奉り給ふ。この姬宮と申すは、八條の院と申すなるべし。廿日內宴おこなはせ給ふ。もゝとせあまり絕えたる事を、行はせ給ふ。世にめでたし。題は春生聖化中とかやぞきこえ侍りし。關白殿など、上達部七人、詩つくりて參り給へり。靑色の衣、春の御あそびにあひて、珍らかなる色なるべし。舞姬十人、綾綺殿にて、袖ふる氣色、から女を見るこゝちなり。ことしは、にはかにて、誠の女はかなはねば、童をぞ、仁和寺の法親王奉り給ひける。ふみをば仁壽殿にてぞ講ぜられける。尺八といひて、吹きたえたる笛、此のたび始めて吹きいだしたりとうけ給はりしこそいとめづらしきことなれ。七月すまうの節行はせ給ふ。これも久しく絕えて、年ごろ行はれぬ事なり。十七番なむ有りける。ふるき事どもの、あらまほしきを、かく行はせ給ふ。ありがたき事なり。且は君の御すぐせもかしこくおはします上に、少納言通憲といひし人、後は法師になりたりしが、鳥羽の院にも朝夕仕うまつり、この御時には、ひとへに世の中をとりおこなひて、古きあとをも起こし、新しきまつりごとをも速かに計らひ行ひけるとぞきゝ侍る。此のみかど、御めのとは修理のかみ基隆のむすめ、大藏卿師隆のむすめなど、二三人おはしけれど、あるはまかり出で、あるはかくれなどして、紀の御とて、御乳の人と聞こえしがをとこにて、かの少納言通憲の子あまたうみなどして、今は御めのとにて、やそ島のつかひなどせられければ、並ぶ人もなきにこ