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て坐します。そのをり御門おほん年いと若く坐します。左右大臣に世の政行ふべき宣旨下さしめ給へりしに、そのをり左大臣御年廿八九ばかり、右大臣御年五十七八にやおはしけむ。共に世の政をせしめ給ひし間、右大臣ざえも世にすぐれめでたくおはしまし、御心おきてもことの外にかしこくおはしまし、左大臣は御年もわかくざえも殊の外に劣り給へるにより、右大臣御おぼえことの外におはしましたるに、左大臣安からずおぼしたる程に、さるべきにやおはしけむ、右大臣の御ためによからぬ事出できて昌泰四年正月廿九日、太宰權帥になし奉りて流されたまふ。このおとゞの子どもあまたおはせしに、女君だちは聟どりし、男君だちは皆ほどほどにつけて位どもおはせしを、これも皆かたがたに流され給ひてかなしきに、をさなくおはしける男君女君だち慕ひ泣きておはしければ、ちひさきはあへなむとおほやけもゆるさしめ給ひしかば共にゐてくだり給ひしぞかし。みかどの御おきて極めてあやにくにおはしませば、この御子どもを同じ方にだに遣さゞりけり。かたがたにいと悲しくおぼして御まへの梅の花を御らんじて、

  「こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を〈なイ〉わするな〈れそイ〉」。

又ていしの御門に聞えさせたまふ。

  「流れゆくわれはみくづとなりはてぬ〈ぬともイ〉君しからみとなりてとゞめよ」。

なき事によりかく罪せられ給ふをかしこくおぼし歎きて、やがて山崎にて出家せしめ給ひてけり。その程極めて悲しき事おほかり。日ごろへて都遠くなるまゝに、あはれに心ぼそく