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過ぎたる方の事は、遠きも近きも見及び聞き及ぶ程の事申しはべりぬるを、今の世の事は、はゞかり多かる上に、誰れかはおぼつかなく思されむ。しかはあれども、事のつゞきなれば申しはべるになむ。當時の院は、鳥羽の院の第四のみこ、御母待賢門院、大治二年ひのとの未の年、生み奉り給へりしにやおはしますらむ。多くの宮たちの御中に天の下つたへたもたせ給ふ、いとやんごとなき御榮えなり。保延三年十二月御ふみはじめに式部の大輔敦光といひし博士、御侍讀には參るとうけたまはりしに、上達部殿上人まゐりて、詩などたてまつられける。近くはさることも聞こえ侍らぬに、この御文はじめにしも、しか侍りけむ、よき例にこそせられ侍らむずらめ。同五年十二月廿日、御元服せさせ給ひしは、十三の御年にこそおはしましけめ。久壽二年七月廿五日、位に即かせたまふ。御とし廿九におはしましき。院の仰せごとにて、內大臣とて、德大寺のおとゞおはせし、具し奉りて、まづ高松殿にわたり給ふ。夜に入りて、上達部引きつれてまゐり給ひて、近衞の內裏へわたらせおはします。十月廿六日御即位ありて、東宮たゝせ給ふ。大甞會など有りて年も替りぬれば院の姬宮東宮の女御に參り給ふ。高松の院と申す御事なり。前の齋院とて今の上西門院のおはしましゝを、御母にしたてまつらせ給ふとうけ給はりし。母ぎさき美福門院おはしませば、べちの御母なくても坐しましぬべけれど、今すこしねんごろなる御心にや侍りけむ。五月の末に故院の御なやみまさらせ給ひて、七月にうせさせ給ひしほどに、世の中にさまざま申す事ども出できて、もの騷がしく聞こえしほどに、誠に、いひしらぬいくさの事いできて、みかどの御かた、勝たせ給ひ