Page:Kokubun taikan 07.pdf/342

提供:Wikisource
このページは校正済みです

侍りけむ。つちのとの未の年五月十八日、よになくけうらなる玉のをのこ宮、生れさせ給ひぬれば、院のうちさらなり、世の中も動くまで、歡びあへるさま、いはむかたなし。ひつじの時ばかりなれば、御祈りの僧、御前に參りたるに、おのおの御馬ひき、女房のよそほひなどたまはす。仁和寺の法親王、山の座主など、僧綱賜はり、さまざまの賞どもありて、まかで給ひぬ。御うぶ養ひ七夜など、關白殿よりはじめて參り給ひて、御遊びどもあり。御湯殿南おもてにしつらひて、弦うち五位六位しらがさねに立ちならべり。男宮におはしませば、文よみ式部大輔左中辨などいふ博士、大外記とかいふもの、明經博士とて、つるばみのころも、あけのころも、袖をつらねて、うちかはりつゝ、日每によむけしき、いはむかたなくめでたし。御子の御祈りはじめてせさせたまひ、七瀨の御祓へに、辨ゆげひのすけ、五位の藏人など、時にあへる七人、御ころも筥取りてたつほど、おぼろげの上達部なども、あふぐべくもなかりけり。御めのとには、二條の關白の御子に、宰相の中將といひし人のむすめ、內藏の頭、男にてあれば、えらばれてやしなひ奉るなるべし。日に添へてめづらかなるちごの御かたちなるにつけても、いかでかすがやかに、みこの宮にも、位にもとおぼせども、きさきばらに、御子たちあまたおはしますを、さし超ゆべきならねば、おもほしめしわづらふ程に、當帝の御子になし奉り給ふ事いできて、みな月の廿六日、御子內へいらせ給ふ。御ともに上達部、殿上人えらびて、常のみゆきにも心ことなり。都のうち車もさりあへず、見るもの所もなき程になむはべりける。內へいらせ給ふに、てぐるまの宣旨など、藏人おほせつゝ既に參らせ給ひて、中宮を