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る物にてありけるを、いかゞしけむ、尊者の御前にとり落してけり。陪膳する人、みこの御前のをとりて惑ひて尊者の御前にすうるを、いかゞおぼしめしけむ、お前にともしたる御殿油をやをらかいけたせ給ひける。このおとゞはそのをりは下﨟にて、座の末にて見奉らせ給ふに、いみじくもせさせ給ふものかなといよいよ見めで奉らせ給ひて、陽成院おりさせ給ふべき定めにさぶらはせ給ふ。とほるの大臣やんごとなくて位につかせ給はむといふ御心深くて、「近き王胤をたづねば、とほるらも侍るは」といひ出で給へるを、この大臣「王胤なれどしやうをたまはりてたゞ人にてつかへて位につきたるためしやある」と申し出でたまへれば、さもある事なれば、この大臣のさだめによりて、小松の御門は位に即かせ給へるなり。御門の御末も遙につたはり、大臣の末もつたはりつゝ後見申し給ふ。さるべくは契りおかせ給へる御中にやとぞ思ひ侍る。おとゞうせ給ひて深草の山にをさめ奉る夜、勝延僧都のよみたまへる、

  「空蟬はからを見つゝもなぐさめつふかくさの山けぶりだにたて」。

〈かの歌、へんじやうが悲しさに、御門の御さうそうによみてうせたり。〉又かんつけの峰雄といひし人のよみたる、

  「深草の野べのさくらし心あらばことしばかりはすみぞめにさけ」

なども、古今に侍ることゞもぞかしな。御家は堀川院と閑院とにすませたまひしを、堀川院をばさるべきことのをり、はればれしきれうにせさせ給ひ、閑院をば御物忌や又疎き人などは參らぬ所にて、さるべくむつましくおぼす人ばかりを御供にさぶらはせて渡らせ給ふを