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や。

  「いかにして消えにし秋の白露をはちすの上の玉とみがゝむ」

といふ御歌侍りけるとなむ。鳥羽殿は、この法皇の作らせ給へれば、さやうにや申さむとおもへりしかども、白河にもかたがた御所ども侍りしかば、白河院とぞさだめ參らせける。

此のみかどの御母は、東宮の御息所とて、うせさせ給へれば、延久三年五月十八日、從二位贈りたてまつらせ給ふ。位につかせ給ひて、同五年五月六日、皇后宮おくりたてまつらせ給ふ。國忌みさゝきなどおかれて、おなじき日、能信の大納言殿、おほきおとゞ、おほき一つの位贈らせ給ふ。御息所の御母藤原祕子と申しゝにも、おほきひとつの位を贈り給ふ。これはきびのなかのつかさ知光のぬしのむすめなり。

     たまづさ

堀川のみかどは、白河の法皇の第二の御子におはしましき。その御母、贈太皇太后宮賢子中宮なり。關白太政大臣師實のおとゞの御むすめ、誠には右大臣源顯房のおとゞの御むすめなり。このみかど、承曆三年つちのとの未、二月十日生れさせ給へり。應德三年十一月廿六日位につかせ給ふ。御とし八つ。この御門御心ばへあてにやさしくおはしましけり。その中に笛をすぐれて吹かせ給ひて、あさ夕に御あそびあれば、瀧口のなだいめんなど申すも調子たかうとて、曉になるをりもありけり。その御時、笛ふき給ふ殿上人も、笛の師など、皆かの御時給はりたるふみなりなどいひて末の世まで持ちあはれ侍るなり。時元といふ笙のふえふき、