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べきに、さすがさせる事なくて、さる事もたはやすかるべしと、おぼしわづらはせ給へるを、顯隆の中納言「しか侍らば、たゞこのたび阿闍梨の宣旨を下させ給ひて、永くよせらるゝ事はなくて候へかし」と申されければ「誠にしかこそあるべかりけれ。おのれなからましかば、われいかゞせまし」とぞかひがひしく感ぜさせ給ひける。その子の顯賴といひし。「中納言をも、夢に手をひかれてゆくと見たりしものを」など仰せられて、殊の外におもほしめせりける人にて、ふみの函など、ひきさげなどする事をも、下らうなどめして、持たせさせ給ふなど、重くおもほしめせりけるに、五位の藏人にて、除目の目錄とか奏せられけるに、御覽じて、あらゝかに裂かせ給ひてかへしたびければ、何事にかと恐れ思ひて、まかりいでゝその後父の中納言まゐりたりけるにぞ「大外記師遠は、津の國の公文も、まだ勘へぬものをばいかで目錄に入れてたてまつりけるぞ」と仰せられなどして、さやうの事も、かくなむおはしける。法文などをも誠しく習はせ給ひけるにこそ。良眞座主に、六十卷といひて、法華經の心とける文うけさせ給へりけるに、西京にこもりゐ給ひて、比叡の山の大衆のゆるさゞりければ、さて居給へりける所とぶらはせ給ひけり。西院のほとけをがませ給ふ序とてぞ御幸ありける。御法のためも、人の爲も面目ありけるとなむ聞き侍りし。金泥の一切經かゝせ給へるも、もろこしにも類ひすくなくやと聞こえし。その後こそ、此國にも、あまた聞こえ侍れ。この院のしはじめさせ給へるなり。又生きとし生けるものゝ命をすくはせ給ひて「かくれさせ給ふまでおはしましき。皐月のさやまに、ともしする賤のをもなく、秋の夕ぐれ浦に釣する