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言侍りけるが、重ねて申しけるは、「實政申す事なむ侍る。木津のわたりの事を、一日にても思ひ知り侍らむ」と奏しければ、其の折おもほししづめさせ給ひて、計らはせたまふ御けしきなりけり。昔實政は東宮の春日の使にまかり下りけり。隆方は辨にて罷りけるに、實政まづ船など設けて渡らむとしけるを、隆方おしさまたげて、「待ち幸ひする者、何に急ぐぞ」などないがしろに申し侍りければ、からくおもひて、かくなむと申したりけるを、おもほし出して、此のことわり天照る御神に申しうけむとて、左中辨には加へさせたまひてけり。隆方はかりなき心ばへにて、殿上に司召のふみ出だされたるを、上達部たち、かつかつ見たまひて、何になりけり、かれに成りにたりなどのたまはせけるを、隆方つかうまつりて侍らむなど、得たりがほに云ひけるを、さもあらぬ者のかみに加はりたるぞなど、人々侍りければ、うちしめりて出でにけり。次のあしたの陪膳は、隆方が番にて侍りけるを「よも參らじ。こと人をもよほせ」と仰せられける程に、午の時よりさきに、隆方まゐり侍りければ、みかどさすがにおもほしめして、日ごろは御ゆする召して、うるはしく御鬢かゝせ給ひて、たしかにつかせたまふ御心に、けふは待ちけれども、程すぎて出でさせたまへりけるに陪膳つかうまつりて、辨も辭し申して、こもり侍りにけりとなむ。御代のはじめつ方の事にや侍りけむ。內裏燒亡の侍りけるに、殿上人上達部なども、さぶらひあひたまはね程にて、南殿に出でさせたまへりけるに、御覽じもしらぬ者、すくよかに走りめぐりて、內侍所出だしたてまつり、右近の陣に、御輿たづね出だして、御はしに寄せて、載せたてまつりなどしければ、「おのれは誰れ