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どもにもまさらせ給へり。東宮におはしましける時、匡房中納言まだ下﨟に侍りけるに、世を恨みて山の中に入りて、世にもまじらじなど申しければ、經任の中納言と申しゝ人の、「われは、やんごとなかるべき人なり。然あらば世のため身のため、くちをしかるべし」といさめければ、宇治のおほきおとゞ心得ずおぼしたりけれど、東宮に參り侍りければ、宮も喜ばせ給ひて、やがて殿上して、人のよそひなど借りてぞ、ふだにもつきける。さてよる晝文のみちの御ともにてなむ侍りける。位に即かせ給ふ始めに、つかさもなくて、五位の藏人になりたりければ藏人の式部大夫とてなむ。あきたるにしたがひて中務の少輔にぞなり侍りける。大貳實政は東宮の御時の學士にて侍りしを、時なくおはしませば、かまへて參りよらぬ事にならむと思ひけるに、さすが痛はしくて甲斐守に侍りければ、かの國よりのぼりて參るまじき心がまへしけるに、くだりけるに、餞せさせたまふとて、
「州民縱發〈作イ〉甘棠詠
莫㆑忘多年風月遊」
と作らせ給へりけるになむ。え忘れ參らせざりける。甘棠の詠とは、から國に國の守になりける人のやどれりける所に、やまなしの木のおひたりけるを、その人の都へかへりてのち、政事うるはしく、しのばしかりければ、「このなしの木伐る事なかれ。かの人のやどれりし所なり」といふ歌をうたひけるとなむ。さてみかど位につかせ給ひて後、「左中辨に加へさせ給へ」と申しければ、「つゆばかりもことわりなきことをばすまじきに、いかでかゝることをば申すぞ。正左中辨に始めてならむ事あるまじき」よし仰せられければ、藏人の頭にて、資仲の中納