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五年ぞおはせし。この殿ぞ藤氏のはじめて太政大臣攝政したまふ。めでたき御ありさまなり。和歌もあそばしけるにこそ。古今にも數多侍るめる。前のおほいまうちぎみとはこの御事なり。おほかる中にもいかに御こゝろゆきめでたくおぼえてあそばしけむとおしはからるゝ。御むすめ染殿の后のおまへに櫻の花のかめにさゝれたるを御らんじて、かくよませたまへるとぞ。

  「年ふればよはひは老いぬしかはあれど花をし見ればもの思もなし」。

后を花にたとへ申させ給へるにこそ。かくれ給ひて白川にをさめたてまつる日、素性の君のよみたまへりしは、

  「ちのなみだおちてぞたぎつ白川は君が代までのなにこそありけれ」。

皆人しろしめしたらめど、物を申しはやりぬればさぞ侍る。かくいみじきさいはひ人の、子のおはしまさぬこそ口惜しけれ。御このかみの長良の中納言殊の外に越えられ給ひけむ折、いかばかりからう覺されけむ。又よじんもことの外に思ひ申しけめど、その御末こそ今に榮えおはしますめれば、行く末はことの外にまさり給へりけるものを。

     右大臣良相

このおとゞは御母白川の大臣におなじ。冬嗣大臣の五郞。大臣の位にて十一年、贈正一位西三條大臣と申す。淨藏定額の御祈の師にておはす。千手堂にて驗德かうぶり給へる人なり。この大臣の御女御子の事能くしらず。ひとりぞ水の尾の御時の女御。をのこ子は大納言常行