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いとめでたき事」と知りたる人申しける。そのたびぞ准三宮の宣旨は、宇治殿かうぶらせ給ひけると聞こえさせ給ひし。その頃にや侍りけむ。內裏にて童舞御覽ぜさせ給ひき。上達部の若君たち、おのおの舞ひ給ひき。樂人は殿上人、さまざまのふきもの、ひきものなどせさせたまふ。其の中に六條の右のおとゞの中納言と聞こえたまひし時、その若君胡飮酒まひ給ふを、御前にめして、御ぞ賜ふに、おほぢの內大臣とておはせし、座をたちて拜し給ひけるは、土御門のおとゞとぞきこえ給ひし。舞ひたまひしは、太政のおとゞとや申しけむ。かくてしはすの十二日、廿二社にみてぐらたてまつらせ給ひき、みかどの御惱みの事とて。つぎの年正月一日は日蝕なりしかば廢朝とてみすもおろし、世の政事も侍らざりき。さきのおほきおとゞも御惱みとて、きさらぎのころ、皇后宮もさとに出でさせ給ひき。內には孔雀明王の法おこなはせ給ひて、大御室とておはしましゝ仁和寺の宮、御弟子僧綱になり、我が御身も牛車など蒙りたまひき。みかど御心ちをこたらせ給ふなるべし。四月にはこがねしろがね、綾錦などのみてぐら、神々の社に奉らせ給ひき。かゝる程なれど、左の大臣のみむすめの女御皇后宮に立ちたまひき。ちゝおとゞも關白になりたまひき。內にも御なやみ怠らせ給はず。おほきおとゞも、よろづのがれ給ひて、讓り申し給ふなるべし。みかど世をたもたせ給ふ事、廿三年なりき。御とし四そぢに四年ばかりあまらせ給へりけるなるべし。をとこにても女にても、御子のおはしまさぬぞくちをしきや。御はゝ內侍のかみ御とし十九にて、このみかど生みたてまつりたまひて、かくれさせたまひにき。寬德二年八月十一日に、皇后宮おくりた