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  「萬代のはじめに君が引かるれば子の日の松もうらやみやせむ」。

おなじき九年やよひの十日あまりの程より、うへの御惱みときこえさせ給ひて、神々にみてぐら奉らせ給へる、さまざまの御祈りきこえ侍りき。殿上人御使にて、左右の御馬など引かれ侍りけり。御年みそぢにだに、いま一つたらせ給はぬ、いとあたらし。されど廿年たもたせ給ふ、すゑの世にありがたく聞こえさせたまひき。まだおはします有樣にて、御おとうとの東宮に、位讓り申させ給ふさまなりけり。後の御事の、よそほしかるべきによりて、くらゐおりさせ給ふ心なるべし。をとこ御子のおはしまさぬぞくちをしき。いづれの秋にか侍りけむ、菊の花星に似たりといふ題の御製、からの御言のはきこえ侍りき。

  「司天記取葩稀色

   分野望看露冷光」

とか人の語り侍りし。御ざえもかしこくおはしけるにや。菩提樹院に、此のみかどの御影おはしましけるを、出羽の辨がよめりける。

  「いかにしてうつしとめけむ雲居にてあかずかくれし月の光を」。

かの菩提樹院は、二條院の御堂なれば、御心ざしのあまりに、父のみかどの御すがたをかきとゞめて、置き奉らせたまひけるなるべし。おもひやり參らするも、いとあはれに悲しくこそはべれ。

     はつ春

後朱雀院と申す、さきの一條院の第三の皇子。御母上東門院、先代とおなじ御はらからにお