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かたがたに袖ふるほどなど、所にはえておもしろしなども、言葉も及ばずなむ侍りける。霜月には入道おほきおとゞ御病ひ重らせたまひて、千人の度者とかやいひて、法師になるべき人の數のふみたまはらせ給ふときこえ侍りき。法成寺におはしませば、その御寺に行幸ありて、とぶらひたてまつらせ給ふ。御誦經御布施など、さまざまきこえはべりき。東宮にも行啓せさせ給ふ。御うまご內東宮におはしませば、御病ひの折節につけても、御榮えのめでたさ、むかしもかゝる類ひやは侍りけむ。しはすの四日に入道殿かくれさせ給ひぬれば、年もかはりて、春のはじめの節會などもとゞまりて、位などたまはすることも、程すぎてぞ侍りける。長元二年きさらぎの二日、中宮又ひめ宮うみたてまつらせ給へり。この姬宮は後三條院のきさきにおはします。二人の姬宮たち、二代の帝の后におはします、いとかひがひしき御有樣なり。六年霜月に、たかつかさ殿の七十の御賀せさせ給ふとて、女院中宮關白殿內のおほいどの、かたがた營ませ給ひき。童舞などいとうつくしくて、まだいはけなき御齡どもに、から人の袖ふり給ふ有樣、いとらうありて、いかばかりか侍りけむ。又の日うちに召して、きのふのまひども御らんぜさせ給へり。まひ人雲のうへゆるさるゝ人々ときこえ侍りき。舞の師もつかさ給はりて、近衞のまつりごと人など、加へさせ給ひけりとなむ。かの御賀の屛風に臨時客のところを、あかぞめの衞門がよめる、

  「紫の袖をつらね〈かさねイ〉てきたるかな春たつことはこれぞ嬉しき」。

又子の日かきたる所よめる歌も、いうにきこえ侍りき。