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よりも、年もつもらずみめもさゝやかなるに、小鏡とや付けまし」」など語れば、「「世に人の見興ずる事語り出だされたる人のうまごにこそおはすなれ。いとあはれにはづかしくこそ侍れ。式部の君たれがことにか」」と問へば「「紫式部とぞ世には申すなるべし」」といふに、「「それは名高くおはする人ぞかし。源氏といふめでたき物語作りいだして、世にたぐひなき人におはすれば、いかばかりの事どもか聞きもちたまへらむ。うれしき道にも逢ひきこえけるかな。昔の風も吹き傳へ給ふらむ。然るべき言の葉をも傳へ給へ」」といへば「「かたがたうけたまはること多かりしかども物語どもに皆侍らむ」」といへば「「その後の事こそゆかしけれ」」といふに、「「近き世の事も、おのづから傳へきゝ侍れば、おろおろ年の積りに申し侍らむ。若く侍りし昔は然るべき人の子など三四人生みて侍りしかど、此の身の怪しきにや皆法師になしつゝ、あるは山ぶみしありきて跡もとゞめ侍らざりき。あるは山籠りにておほかた見る世も侍らず。たゞ養ひて侍る五節の命婦とて侍りし、內わたりの事も語り世の事もくらからず申して、琴のつまならしなどして聞かせ侍るも、齡のぶる心ちし侍りし。早くかくれ侍りてまた殿守のみやつこなるをのこの侍るも、うひかうぶりせさせ侍りしまで養ひたてゝ、この春日の里に忘れずまうでくるが、朝ぎよめ御垣の內に仕うまつるにつけて、此の世の事も聞き侍る。みなもとを知りぬれば末の流れきくに心くまれ侍り。世繼が申しおける萬壽二年よりことしは嘉應二年かのえ寅なれば、もゝとせあまりよそぢの春秋に、三とせばかりや過ぎ侍りぬらむ。世は十つぎあまり三つぎにやならせ給ふらむとぞおぼえ侍る。その折萬壽二年に、こと