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とけの五つのいむ事をうけて侍れば、いかゞ浮きたることは申さむ。おほぢに侍りし者もふたもゝちに及ぶまで侍りき。おやに侍りしもそればかりこそ侍らざりしかども、もゝとせに餘りて身まかりにき。おうなも、其の齡を傳へ侍るにや。いまいまと待ち侍りしかど、今はおもなれてつねにかくてあらむずるやうに、念佛なども怠りのみなるもあはれになむ」」といへば「「さていかにおはしけるつゞきにか。あさましくも、長くもおはしける齡どもかな。からのふみ讀む人の語りしは、みちよへたる人も有りけり。もゝとせを七かへり過ぐせるも有りければこの世にも、斯る人のおはするかな」」と此の友だちの中にいふめれば、「「おほぢはむげに賤しき者に侍りき。きさいの宮になむ仕へまつり侍りける。名は世繼と申しき。おのづからも聞かせ給ふらむ。くちにまかせて申しける物語、とゞまりて侍るめり。親に侍りしは、なま學生にて大學に侍りき。この嫗をも若くては、宮仕へなどせさせ侍りて、からの哥やまとの歌などよく作りよみ給ひしが、越の國の司におはせし御むすめに式部の君とましゝ人の、上東門院の后の宮と申しゝ時、御母の鷹司殿にさぶらひ給ひし局に、あやめと申してまうで侍りしを、「五月に生まれたるか」と問ひ給ひしかば「五日になむ生まれ侍りける。母の志賀のかたにまかりけるに舟にて生まれ侍りける」と申すに、「さては五月五日舟のうち浪の上にこそあなれ、午の時にや生れたる」と侍りしかば「しかほどに侍りけるとぞおやは申し侍りし」など申せば、もゝたび鍊りたるあかゞねなゝりとて、いにしへをかゞみ今をかゞみるなどいふ事にてあるに、いにしへもあまりなり。今鏡とや云はまし。まだをさをさしげなる程