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四。このおとゞこそは始めて攝政もし給ひつれば、やがてこの殿よりして今の閑院大臣まで太政大臣十一人續き給へり。たゞしこれより以前、大友皇子高市皇子くはへ、すべては十三人の太政大臣なり。太政大臣になり給ひぬる人はうせ給ひて後、必ずいみなと申すものありけり。しかりといへど、大友皇子やがて御門にたち給へり。〈御門ながらうせ給ひぬればいみななし。〉高市皇子の御いみな覺束なし。又太政大臣といへど出家しつるはいみななし。さればこの十一人續かせ給ひたる二所は出家し給ひつれば諱おはせず。この十一人の太政大臣たちの御次第はじめをはり申し侍らむと思ふなり。流を汲みて源を尋ねてこそはよく侍るべきを、大織冠より始め奉りて申すべけれど、其は餘りあがりての世の事なり。この聞かせ給はむ人々もあなづりごとには侍れど、何ともおぼされざらむものから、こと多くて講師坐しなば、ことさめ侍りてくちをし。されば唯帝王の御事も文德の御時より申して侍れば、冬嗣のおとゞより申すぞ。その御門の御おぢ冬嗣のおとゞと申すは鎌足よりは第六に當り給ふ。世の人はふぢさしとこそ申すめれ。その冬嗣の大臣より申し侍らむ。その中に思ふに唯今の入道殿勝れさせ給へり。


大鏡卷之二

   臣家

   冬嗣大臣〈五條后のてゝなり〉

   良房大臣