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む。これは唯おほやうのありさまをおぼし合せさせむと思ひ給ふるばかりなり。この申し續けつる事ども曉のねぶりのほどの夢にいづこか違ひ侍りたる。いづらはめでたかりし世の中いづらはわろかりし事、たとひ神武天皇の御代より生ける人ありとも、我が身にて思ふにながき夢見たる人にてぞ侍らむ。ましてこの頃の人命長からむ定七八十なり。とてもかくてもありぬべし。大かた世の中の減刧のすゑ佛の滅後に小國のなかに生れて、見聞く事のわろからむこそまことのことわりなれ」」とて、もとの道さまへ歸りまかりにき。今かくかたり申すも、猶仙人の申しゝ事十が一をぞ申すらむ。そのなかに猶ひが事多く世の人の皆知りをこがましき事どもにてこそ侍らめ。いたづらにいをねむよりは御目をもさまし奉らむとてあさましかりし事のありさまを語り申すなり。御心の外に散し給ふな」」」とて、夜明けがたになりしかば又所作などして「「「京へ必ずおはせ」」」と契りてまかりいでにき。その後ゆきがたをしらず。尋ねてきたることもなし。本意なきことかぎりなし。心より外にはといひしかどもこの事をけちてやまむ、口をしくて書きつけ侍るなり。世あがりざえかしこかりし人の大かゞみなどいひて書きおきたるにはにずして、ことば卑しくひが事多うして見所なく、文字おち散りて見む人にそしりあざむかれむ事うたがひなかるべし。紫式部が源氏など書きて侍るさまは、たゞ人のしわざとやは見ゆる。されどもその時には日本紀の御つぼねなどつけて笑ひけりとこそは、やがて式部が日記には書きて侍るめれ。ましてこの世の人のくちかねて推し量られてかたはらいたく覺ゆれども、人のためとも、思ひ侍らず。唯若くよりかやうの事