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日辛酉、長岡の京より今の京にうつり給ひて賀茂の社に行幸ありき。同十五年に御門東寺をつくり給ふ。今年又藤原いせ人といひし人貴船の明神の御をしへにて鞍馬をばつくり奉りしなり。同十七年に勅使を淡路の國へつかはして早良親王の骨をむかへ奉りて大和の國八島の陵にをさめたまひき。この親王流され給ひてのち世の中こゝち起りて人おほくしにうせしかば、御門おどろき給ひて御迎に二度まで人をたてまつり給ひし、皆海に入り波に漂ひて命を失ひてき。第三度に親王の御甥の宰相五百枝を遣しき。ことに祈り請ひて平にゆきつきて渡し奉りしなり。七月二日田村將軍淸水の觀音をつくり奉り、又我が家をこぼちわたして堂に建てき。同十九年七月己未の日、御門「思ふ所あり」とのたまひて前東宮早良親王を崇道天皇と申す。又井上內親王を皇太后とすべきよし仰せられき。おのおのおはしまさぬあとにもうらみの御心をしづめたてまつらむとおぼし召しけるにこそ侍るめれ。同廿一年正月十九日わけのひろよたかをの法華會を行ひはじめき。九月二日傳敎大師もろこしへわたり給ひて天臺の敎文をつたふべきよしの宣旨を下され侍りしなり。十月に維摩會をもとのやうに山階寺にて行ひてながく外にて行ふべからざるよし宣旨を下さる。これよりさきには長岡にして行はるゝ事もありき。又ならの法花寺にても行はれしなり。同廿二年閏十月廿三日傳敎大師筑紫におはしてもろこしへ平にわたり給はむの御いのりに、かまどの山寺にて藥師佛四體を造り給ひき。同廿三年五月十二日弘法大師生年三十一と申しゝにもろこしへわたり給ひき。七月に傳敎大師おなじくもろこしへわたり給ひき。同廿四年六月に傳敎大師