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奉りてこらしめ奉らむ。又東宮もあしき御心のみおはす、世のためいといと不便に侍る」と申しゝかば御門「よからむさまに行ふべし」とのたまひしかば、三月四日后の位をとり奉りていで給ふべきよし啓せしかども后の更に出で給はずしてしのびやかにかむなぎどもを召しよせて、さまざまの物どもをたまはせて御門を呪咀し奉り給へりしを、百川聞きつけて、かむなぎを尋ね召さしめしに、かむなぎ逃げ失せにしかばそのかむなぎの親しかりし者を召して「更におそりをなすべからず。ありのまゝにこの事を申さばわれ必ず位を申し授くべし」といひしかば、即ちこのよしをかのかむなぎに吿げいひしかば、かむなぎ謀られて申していはく「君をあやまち奉らむと謀れる罪は遁れがたかるべき事なり。后宮われ等を召してさまざまの物を賜はせたりしかども、いかにすべしとも覺え侍らで、たゞ御門の御ためにかへりて寺々に誦經にして惡き心つゆ起さずなり侍りき」といひき。このよしを百川つぶさに御門に申しゝかば、そのかむなぎどもを召しよせて重ねて問はしめ給ひしに、おのおの皆おぢ伏しにき。御門この事をきこしめして、淚を流したまひて「われ后のためにいさゝかもおろかなる心なかりつるに、今この事あり、いかにすべきことぞ」と仰せ事ありしかば、百川申していはく「この事世の中の人皆聞き侍りにたり。いかでかさではおはしますべき」と申しゝかば、御門「誠にいかでかたゞもあらむ」とのたまはせて、后のみふなど皆とめ給へりしかども后さらに憚り給ふけしきなくて、唯御門をさまざまのあさましきことばにて、みだりがはしくのり申し給ふ事より外になし。百川「東宮もしばし退け奉りて心をしづめ奉らむ」と