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四の御子にて御年などもいまだいとけなくおはしまして、ことし十二にぞなり給ひしかども、この后の御腹にておはせしかば兄たちをおきたてまつりて、こぞの正月に東宮に立ち給ひしぞかし。后御年もたけ、東宮の御母などにていみじくおもおもしくおはすべかりしに、この山部親王御まゝ子にて御年などもことの外にあひ給はず、ことし三十六になりたまひしを、またなきものとおもひ申したまへりしいとみぐるしくこそ侍りしか。常にこの親王をのみ呼びたてまつり給ひて御門をうとくのみもてなしたてまつり給へば、御門耻ぢうらみたまふ御心やうやういできけり。百川このほどの事どもをうかゞひ見るに、后ましわざをして御井に入れさせたまひき。御門をとくうしなひたてまつりて、我が御子の東宮を位に即けたてまつらむといふ事どもなり。その井に入りたるものをある人とりて宮の內にもてあつかひしかば、この事みな人しりにき。百川御門に「この事すでにあらはれにたり。又后の宮の人八人このごろ橫さまなる事をのみつかうまつりて、世の人たふべからず。人のめをうばひてやがてそのをとこの前にてゆゝしきわざをして見せ、またその男をころし、かやうの事申しつくすべからず。この八人をとらへさしめて人のうれへをしづめむ」と申しゝかば、御門申しゝまゝに許し給ひしかば、百川つはものを遣して召しとりし程に、その八人をうち殺してき。その使かへりてこのよしを申すに、后、御門のおはします所へいかりておはして、「おいくちは己れがおいほれたるをば知らずして、我が宮が人どもをばいかで殺さするぞ」とのり申し給ひしかば、百川この事を聞きて「あさましく侍る事なり、后を暫し縫殿寮にわたし