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法師ども額に手をあてゝ信をなしつゝ聞きゐたり。「「世繼はいとおそろしき翁に侍り。眞實の心おはせむ人はなどかはづかしとおぼさゞらむ。世の中を見しり、うかべたてゝもちて侍る翁なり。目にも耳にも聞きあつめて侍る。よろづの事の中に唯今の入道殿下のありさま、いにしへを聞き今を見侍るにも、二つもなくまた三つもなく、ならびなくはかりなくおはします。たとへば一乘法のごとし。御有樣の返す返すめでたきなり。世間の太政大臣攝政關白と申せど、はじめをはりとめでたき事はえおはしまさぬことなり。法文聖敎の中にものたまふなるは、魚の子おほかれど、まことの魚となることはかたし。ありのみといふ木は花はしげゝれどこのみをむすぶことかたしとこそは說き給へれ。天下の大臣公卿の御中に、このたからの君のみこそ世にめづらかにおはすめれ。今ゆくすゑも誰の人かかばかりはおはせむ。いとありがたき御事なりや。誰も心をひとつにてきこしめせ。世にある事は何事をかは見のがし聞き殘して侍らむ。この世繼が申すことゞもはしも知り給はぬ人々多くおはすらむとなむ思ひ侍る」」といふめれば、「「すべてすべて申すべきならず」」とてきゝあへり。「「世はじまりて後、大臣皆おはしけり。されど左大臣右大臣內大臣太政大臣と申す位、天下になりあつまり給へるがかずへてみなおぼえ侍り。世はじまりて後今にいたるまで、左大臣三十人、右大臣五十七人、內大臣十二人なり。太政大臣は古の御門の代にはたやすくおかせ給はざりけり。或ひは御門の御おほぢ、或ひは御門の御をぢぞなり給ふめる。又しかの如く帝の御おほぢをぢなどにて御後見し給ふ大臣納言かずおほくおはす。うせ給ひて後、贈太政大臣などになり