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具して八幡の宮に祈り申してたゝかはしめにつかはす。十一月に御門伊勢太神宮に行幸し給ひて、この事を祈り申し給ひしに、この月十一日に肥前國松浦の郡にて少貳しづまり給ひしところなり。今かゞみの宮とておはします。同十三年六月戊寅の日の夜京中の條々にいひふりて侍りき。同十四年十一月に陸奧に赤き雪降り侍りき。十五年十月十五日あふみの信樂京にて東大寺の大佛を始め給ひき。同十七年八月廿三日に東大寺の大佛の座をつきはじめ給ふ。同十九年九月廿九日大佛を鑄奉りたまふ。同二十年正月に陸奧よりこがね九百兩を奉れりき。日本國にこがね出でくる事これよりはじまれりき。これによりて四月十八日に年號を天平勝寶元年とかへられにき。されどもこの年號はやがて又かはりにしかば年代記などには入り侍らざるなり。七月二日位を去りて御ぐしおろして太上天皇とぞ申し侍りし。御年五十にならせ給ひしなり。

     第四十七孝謙天皇

次の御門孝謙天皇と申しき。聖武天皇の御女。御母不比等の御女光明皇后におはします。天平勝寶元年七月二日位に即き給ふ。御年三十一。世をしり給ふ事十年なり。御おとゝに東宮おはしましゝかども神龜五年に御年二歲にてうせ給ひにしかば、この御門位をつぎおはしましき。天平勝寶元年十月廿四日に東大寺の大佛を鑄奉りをはりにき。三年のほど八度といふに事はてにしなり。十一月に八幡の宮託宣したまひて十二月に筑紫より京へうつりおはしましき。梨原に宮づくりしていはひ奉りしなり。七日丁亥東大寺供養侍りき。行幸ありき。