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む心ちもするかな。又翁らが家の女どものもとなるくしげの鏡の影見えがたく、とぐわざもしらずうち納めて置きたるにならひて、あかく磨ける鏡にむかひて我が身のかたちを見るに、かつは影はづかしく、又いとめづらしきにもむかへりや。あな興ありのわざやな。翁今十廿年の命は今日延びぬる心ちし侍り」」と痛くゆけするを、見聞く人々をこがましうをかしけれども、いひ續くる事どもはおろかならずおそろしければ物もいはで皆聞きゐたり。大犬丸をとこ、「「いで聞きたまへや。歌ひとつ作りて侍り」」といふめれば、世繼、「「いとかんあることなり」」とて、「「うけたまはらむ」」といふ。繁樹、いとやさしげにいひいづ。

  「「あきらけきかゞみにあへば過ぎにしも今ゆくすゑのことも見えけり」」

といふめれば、世繼いたく感じて、あまた度ずじてうめきて返し、

  「「すべらぎの跡もつぎつぎかくれなくあらたに見ゆるふるかゞみかも。

今やうのあふひ八花がたの鏡、蒔繪螺鈿の箱に入れたるにむかひたる心ちし給ふや。いでやそれは、さきらめけど曇りやすきところあるや。いかにいにしへの古代の鏡はかね白くて人手ふれねどかくぞあかき」」など、したり顏に笑ふかほつき繪に書かまほしく見ゆ。あやしながら、さすがなるけつきて、をかしく誠に珍らかになむ。世繼「「よしなしごとよりはまめやかなる事を申し出でむ。よりよりたれもたれも聞しめせ。今日の講師の說法は菩提のためとおぼし、又翁らが說く事は日本紀を聞くとおぼすばかりぞかし」」といへば、僧俗「「げに說經說法多くうけたまはれど、かくめづらしき事のたまふ人は更におはせぬなり」」とて年老いたる尼