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しを、ひとことぬしの神、わがかたちの見にくきことを耻ぢて、なほよるよるばかり渡し侍りしかば、行者いかりて、神呪をもちてこのひとことぬしの神をしばりて、谷の底に投げいれてき。その後ひとことぬしの神、御門に近く侍ひし人につきて、「われは御門の御ためにあしき心を起す人を鎭むるものなり。役の行者御門を傾け奉らむとはかる」と申しゝかば、宣旨を下して行者をめしに遣したりしに、行者空に飛びあがりて、捕ふべき力も及ばで使かへり參りてこのよしを申しゝかば、行者の母をめしとられたりしをり、すぢなくて母に代らむがために行者まゐりしを、伊豆の大島へは流し遣したりしに晝はおほやけに從ひ奉りてその島にゐ、夜は富士の山にゆきて行ひき。六月に御門丈六の佛像を造り奉らむとて、佛師のよからむをもとめ給ひしに、その人なかりしかば、御門大安寺に行幸ありて、佛の御前に掌を合せ願をおこし給ひて「よき佛師にあひてこの佛を造り奉らむ」と申し給ひしに、その夜の御夢に一人の僧ありて「この寺の佛を造り奉りしは化人なり。又きたるべきにあらず。たとひよき佛師にあひ給ふとも猶斧のつまづきあるべし。たとひよき繪師にあひ給ふともいかでか筆のあやまちなからむ。唯大きならむ鏡を佛の御前にかけてその寫り給へらむ影を禮し奉り給へ。書けるにもあらず造れるにもあらずして、三身具足し給はむ。その形を見るは應身の躰なり。その影をうかゞふは化身の相なり。その空しきことを觀ずるは法身の理なり。功德の勝れたる事これに過ぎたるはなかるべし」と申しき。御門御夢さめ給ひて如來の御願に應じ給ふことを悅びたまひて大なる鏡を佛前にかけて五百人の僧を請じて供養し奉