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奉り給ひき。十四年と申しゝ十月廿三日天文悉くにみだれ、星のおつる事雨の如く侍りき。十五年と申しゝに大和の國より赤き雉子を奉れりき。さて朱鳥元年と年號をかへられにき。明くる年大友皇子の御子父ののたまはせおきしによりて、三井寺をつくりたまひしなり。

     第四十二持統天皇〈大寶二年十二月十日崩。年 葬大內陵。天武同陵。此後火葬。〉

次の御門持統天皇と申しき。天智天皇の第二の御女。天武天皇の后なり。御母山田の大臣石川麿の女越智姬なり。丁亥の年を元年として第四年に位に即き給ひて世をしり給ふ事十年なり。七年と申しゝ正月にぞ踏歌ははじまり侍りし。十年と申しゝに位を去り給ひて太上天皇と申し侍りき。

     第四十三文武天皇〈慶雲四年崩。年二十五。葬大和國檜前安呂岡上陵。〉

次の御門文武天皇と申しき。天武天皇の御子に草壁の皇子と申しゝ皇子の第二子。母元明天皇なり。丁酉の年八月一日位に即き給ふ。御年十五。世をしり給ふこと十一年。三年と申しゝ五月に役の行者を伊豆國へ流しつかはしてき。その行者は大和國の人なり。ひろく物をならひ、深く三寳をあふぎて、三十二といひし年よりこの葛城山に籠りゐて、三十餘年のほど藤の皮を着物とし、松の葉を食物として、孔雀の神呪をたもちてさまざまの驗をほどこしき。五色の雲に乘りて仙宮にいたり、鬼神をつかひて水をくませ薪木をとらす。又「御嶽とこの葛城の峰とに石橋をわたせ」とこの鬼神どもにいひしかば、よるよるいはほを運びて削りとゝのへて、既に渡しはじめし程に、行者心もとながりて「晝も唯かたちを顯して渡せ」とせめ