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廿九日位に即かせ給ひき。御年九歲。寬仁二年戊午正月三日御元服。御年十一。位に即かせ給ひて十年にやならせ給ふらむ。今年萬壽二年乙丑とこそは申すめれ。おなじみかどゝ申せども、御後見多くたのもしくおはします。御おほぢにて唯今の入道殿下出家せさせ給へれど、世のおや一切衆生一子の如くはぐゝみおはします。第一の御をぢにて唯今の關白左大臣、一天下をまつりごちておはしますべき。次の御をぢと申すは內大臣にて左大將かけておはします。次の御をぢと申すは大納言、或ひは東宮大夫、中宮權大夫、中納言などさまざまにて坐します。斯の如くにおはしまさせば御後見多くおはします。昔も今もみかどかしこしと申せど、臣あまたしてかたぶけ奉るときは傾き給ふものなり。されば唯一天下は我が御後見の限にておはしませば、いとたのもしくめでたき事なり。むかし一條の院の御惱のをり、仰せられけるは、「すべからくは次第のまゝに一のみこをなむ春宮とすべけれど、後見すべき人なきにより思ひかけず。さればこの二宮をば立て奉るなり」とおほせられけるもこの當代の御事よ。げにさる事ぞかし。御門の御次第は申さずともありぬべけれど、入道殿下の御榮華も何によりひらけ給ふぞと思へば、先づ御門后の御ありさまを申すなり。植木は根をおほして、つくろひおほしたてつればこそ枝もしげりてこの實をもむすべや。しかあればまづみかどの御つゞきをおぼえて、次に大臣の御つゞきはあかさむとなり」」といへば、大犬丸をとこ、「「いでいでいといみじうめでたしや。こゝらのすべらきの御有樣をだに鏡をかけ給へるに、まして大臣などの御事は年ごろ闇にむかひたるに朝日のうらゝかにさし出でたるにあへら