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に徒にてはおはするぞ」と問へども、ふつといらふる事もなし。かくて多くの年を經て賴光うせにき。智光歎きて、年來の友なりき、いかなる所にか生れぬらむ、おこなひする事もなく物をだにはかばかしくいはざりつれば、後世のありさまいと覺束なしと思ひて、二三月のほど「賴光があり所知らせ給へ」と、佛に祈り申しゝほどに、智光ゆめに、賴光が居たる所へ行きて見れば、たとへむ方なくめでたし。智光「これはいかなる所ぞ」と問へば、賴光「これは極樂なり。汝あながちに祈りつればわれ生れたる所を見するなり。汝があるべき所にあらず。疾くかへりね」といふに智光「われ淨土をねがふ身なり。いかでかかへらむ」といふ。賴光「汝させるおこなひをせず。しばしもいかでかこの所に留らむ」といふ。智光「汝世にありし時させる行もし給はざりき。いかにしてこの所に生れ給へるぞ」といふ。賴光「いかでか知り給はむ。むかし經論を見給ひしに、極樂にうまれむこといとかたくおぼえしかば、偏に世の事をすて物いふ事をとゞめて、心の中に彌陀の相好淨土の莊嚴を觀じて、多くの年をつもりて、わづかに生れて侍るなり。汝心みだれ善根すくなくて淨土へ參るべき程にいまだいたらず」と云ふを智光聞きて泣きかなしびて「いかにしてか决定して往生すべき」と問ひしかば賴光「佛に問ひ奉れ」とて智光を相具して佛の御前に參りぬ。智光佛を禮拜し奉りて「いかなる事をしてかこの所に參るべき」と申しき。佛智光に吿げてのたまはく「佛の相好淨土の莊嚴を觀ずべし」と。智光「この土の莊嚴心も眼もおよばず。凡夫はいかでかこれを觀ずべき」と申しゝかば、佛右の御手をさゝげ給ひて、掌の中にちひさき淨土をあらはし給ひき。智光夢さ