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しめ給ひつ。入鹿おどろき立ちさわぎしに又足を斬りつ。入鹿御門に申していはく「われ何事の罪といふ事を知り侍らず。その事をうけたまはらむ」と申しき。御門大きにおどろき給ひて「いかなる事ぞ」と問ひ給ひしかば、王子、「入鹿は多くの王子をうしなひ、御門の御位を傾け奉らむとす」と申し給ひしかば、御門立ちて內へ入り給ひにき。このをり遂に入鹿が首をきりてき。その後入鹿がかばねを父の大臣にたまはせしかば、大臣大にいかりて、みづから命をほろぼして大鬼道に墮ちて、蘇我の一門時のほどに亡びうせにき。この御時とぞおぼえ侍る、但馬の國に人ありき。幼き女子をもちたりき。その子庭にはひありきし程に俄に鷲いできたりて子をとりて東をさして飛びさりぬ。父母泣きかなしめども行き方をしらず。その後八年といひしにその子の父事のゆくりありて丹後の國へゆきてやどれる家にめのわらはあり、井にゆきて水を汲む。このやどれる男井のもとにて足を洗ひて立てるほどに、その村のめのわらはども來り集まりて水を汲むとてありつるめの童の汲みたりつる水を奪ひとりてければとられじとをしむ程にこのめの童べども「おのれは鷲のくひのこしぞかし。いかでわれ等をばいるがせにはいふべきぞ」とてうちしかば、めのわらは泣きてこの宿りたりつる家にかへりぬ。男家ぬしに「このめの童を鷲のくひのこしと申しあひたりつるはいかなる事ぞ」と問へば家あるじ、「その年のその月日、我木にのぼりて侍りしに、鷲幼き子をとりて西の方より來りて、巢におとしいれて、鷲の子にかはむとせしほどに、この子なく事かぎりなし。鷲の子その聲におどろき恐れて食はざりき。我ちごのなく聲をきゝて巢のもとによ