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め黑媛といひし人を后とせむとおぼして、御弟の住吉仲皇子をつかはしてその日おはすべきよし仰せられしに、この皇子、我が名をかくして東宮のおはするさまにもてなしてこの姬君に親しきさまになむなりにける。さてもちたりつる鈴を忘れて歸りにけり。その次の夜東宮姬君のもとへおはしたるに、居給へる傍に鈴のありければ、あやしくおぼして姬君に問ひ奉り給ひければ「これこそはよべもておはしたりし鈴よ」とのたまふに、東宮、われと名のりて皇子の近づき給ひにけるにこそとおぼして歸り給ひにけり。皇子この事を東宮聞き給ひぬらむ、我が身たひらかならむ事難かるべしとおもはして、東宮を傾け奉らむとはかりてつはものを起して宮を圍みしをり、大臣たち東宮にかゝる事侍ると吿げ奉りしにいふかひなくゑひ給ひておどろき給はざりしかば、大臣たち、この東宮を馬にかきのせ奉りて逃侍りにき。皇子この事をしらずして宮に火をつけて燒きてき。これは津の國の難波の宮なり。東宮大和の國におはしてゑひさめ給ひて「此はいづれの所ぞ」と問ひ給ひしかば大臣たち事のありつるさまを申し給ひき。さて石上の宮に坐しつきたりしに又の御おとゝに、みづはの皇子と申しゝ人急ぎまゐり給へりしを、疑ひ給ひてあひ給はざりしかば、この皇子「われにおきては更におなじ心に侍らず」と申し給ひしかば「しからばかの住吉仲皇子を殺して後にきたるべしとたのまはせしかば、このみづはの皇子即ち難波にかへりて住吉仲皇子の近くつかひ給ひし人をかたらひて「わがいはむ事に從ひたらばわれ位をたもたむ時なんぢを大臣になさむ」とのたまひしかば「いかにもおほせに從ふべし」と申しゝかば、多く物どもをたま