Page:Kokubun taikan 07.pdf/217

提供:Wikisource
このページは校正済みです

り、下にはなんだちのたすけを賴む」とて、まつらといふ河におはして、祈りてのたまはく、「若し西の國を得べきならばつりに必ず魚をえむ」とて釣りたまひしに、年魚をつりあげ給ひにき。その後諸國に船をめし、つはものをあつめて、海をわたり給はむとてまづ人を出して國のありなしを見せさせ給ふに、見えぬよしを申す。又人をつかはして見せしめ給ふに、日數おほく積りてかへり參りて、「いぬゐの方に山あり。雲かゝりてかすかに見え侍る」と申しゝかば、皇后その國へむかひ給はむとて石をとりて御腰にさしはさみ給ひて「事終りてかへらむ日この國にしてうみ奉らむ」と祈り誓ひ給ひき。この程やはたを孕み奉らせおはしましたりしなり。仲哀天皇うせさせおはします事は二月なり。この事は十月なればたゞならずおはしますとも、御門は知らせ給はぬ程にもや侍りけむ。さて十月辛丑の日ぞ新羅へ渡り給へりしに、海の中の樣々の大きなる魚ども、船どもの左右にそひて、大きなる風ふきて速にいたる。船に隨ひて波あらく立ちて新羅國の內へたゞ入りに入りくる時に、かの國の王おぢおそりて臣下をあつめて「昔よりいまだかゝる事なし。海の水既に國の內にみちなむとす。運の盡きをはりて國の海になりなむとするか」と歎きかなしぶ程に軍の船海にみちて鼓のこゑ山を動かす。新羅の王これを見ておもはく、これより東に神國あり、日本といふなり、その國のつはものなるべし、われたちあふべからずと思ひて、かの王すゝみて皇后の御船の前にまゐりて「今よりながく隨ひ奉りて、年ごとに貢物を奉るべし」と申しき。皇后その國へ入りたまひて、さまざまの寳のくらを封じ、國の指圖文書をとりたまひき。王さまざまの寶を