Page:Kokubun taikan 07.pdf/21

提供:Wikisource
このページは検証済みです

出させ給はざりけるさきに神璽寳劔手づからとりて、東宮の御方にわたし奉り給ひてければ、かへり入らせ給はむ事はあるまじくおぼしてしか申させ給ひけるとぞ。さやけき影をまばゆく思しめしつるほどに、月のかほにむら雲のかゝりて少しくらがりゆきければ、「我がすけは成就するなりけり」と仰せられて步み出でさせ給ふ程に、こき殿の女御の御文の日ごろやりのこして御身もはなたず御覽じけるを思しめしいでゝ、しばしとてとりに入らせ給ひけるほどぞかし、粟田殿の、「いかにかくは思しめしなりぬるぞ。只今過ぎなば、おのづからさはりとて出でまうで來なむ」とそらなきし給ひけるは。さて土御門よりひんがしざまにおはしますに、晴明が家の前をわたらせ給へば、みづからの聲にて手をおびたゞしくはたはたと打つなる。「御門おりさせ給ふと見ゆる天變ありつるが、旣になりにけりと見ゆるかな。參りて奏せむ。車にさうぞくとうせよ」といふ聲聞かせ給ひけむは、さりとも哀にはおぼしめしけむかし。「かつかつ式神一人だいりに參れ」と申しければ、目には見えぬものゝ戶おしあけていづ。御うしろをや見まゐらせけむ、「唯今これより過ぎさせおはしますめり」といらへけりとかや。その家は土御門町口なれば御道なりけり。花山寺におはしましつきて、御ぐしおろさせ給ひて後にぞ、粟田殿は「まかりいでゝ、おとゞにもかはらぬ姿今一度見え、かくと案內も申して必ず參り侍らむ」と申したまひければ、「われをばはかるなりけり」とこそ泣かせ給ひけれ。哀に悲しきことなりな。日比かく御弟子にてさぶらはむと契りすかし申し給ひけむがおそろしさよ。東三條殿は、もしさる事やし給ふとあやふさに、さるべくおとなし