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のころほひ世繼と申しゝさかしき翁侍りき。文德天皇より後つかたの事は暗からず申しおきたるよし承る。その先はいと耳きゝどほければとて申さゞりけれども、世の中をきはめしらぬはかたおもむきに今の世をそしる心の出でくるもかつは罪にも侍らむ。目の前の事をむかしに似ずとは世をしらぬ人の申す事なるべし。かの嘉祥三年より先の事をおろおろ申すべし。まづ神の代七代その後伊勢大神宮の御世よりうのかやふきあはせずの尊まで五代、合せて十二代の事は詞に顯し申さむにつけて、憚多く侍るべし。神武天皇より申し侍るべきなり。その御門位に即き給ひし辛酉の年より嘉祥三年庚午の年まで、千五百二十二年にやなりぬらむ。その程御門五十四代ぞ坐しましけむ。まづ神武天皇より」」とていひ續け侍りし。

     第一神武天皇〈七十六年三月甲辰日崩。年百廿七。九月丙寅日葬大和國畝火山東北陵。〉

「「神武天皇と申しゝ御門はうのかやふきあはせずの尊の第四の御子なり。御母海神の女玉依姬なり。又まことの御母は海にいり給ひて玉依姬は養ひ奉りたまへりけるとも申しき。その世に侍りしかどもこまかに知り侍らざりき。この御門父の御門の御世庚午の年生れ給ふ。甲申の歲東宮に立ちたまふ。御年十五。辛酉の年正月一日位に即き給ふ。御年五十二。さて世をたもち給ふ事七十六年。神代より傳はりて劔三つあり。一つは石上布留の社にます。一つは熱田の社にます。一つは內裏にます。又かゝみ三つあり一つは大神宮におはします。一つは日前におはします。一つは內裏におはします。內侍所にこそおはしますめれ。この日の本をあきつしまとつけられし事はこの御時なり。事遙にしてこまかに申しがたし。位に即かせ