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そめ給へりしぞ」」と問ひしかば、さきに申しつるやうに申しゝを仙人聞きて「「いとかしこきことなり。大かたは今の世をはかなく見うとみたまひていにしへはかくしもあらざりけむとあさくおぼすまじ。すべて三界は厭ふべき事なりとぞおぼすべき。このめのまへの世のありさまはをりに從ひてともかくもなりまかるなり。いにしへをほめ今をそしるべきにあらず。神代よりこの葛城吉野山などをすみかとして時々はかたちを隱して都のありさまも諸國に至るまで見聞きて過ぎ侍りき。よしなき事どもに侍れども御經を承りぬるよろこびに偏に目の前のことばかりをのみそしる心おはして、いにしへはかくしもなかりけむなどおぼす。一すぢなる心のおはする方をも申し聞かせば、一分の執心をもうしなひ奉りなば佛道にすゝみ給ふ方ともなどかならざらむ。神の世より見侍りし事おろおろ申し侍らむ」」といへば、「「いみじくうれしく侍るべき事なり。生年二十などまでは男のまねかたにて世に立ちまじらひ侍りしかども、はかばかしく昔の事考へ見ることもなかりき。唯遊びたはぶれにて夜をあかし日をくらしてのみ過ぎ侍りしに、近頃の事などを人のかたり傳へ申すを聞くに、この世の中はいかにかくはなりまかるやらむと、事にふれて哀にのみおぼえてかゝる道に入りにたれば一かたになべての世をそしる心ある罪もさだめて侍らむ。いでのたまはせよ。うけたまはらむ」」といふに、仙人のいはく「「さてはこの世のありさまのみならず、內典の方などもうとくこそはおはすらめ。はしはしを申さむ。生死は車の輪の如くにしてはじまりてはをはり終りてははじまり、いつをはじめ、いつををはりといふ事あるべから