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ひしと見奉るは老法師のひがめか」」といへば、男「「さもや侍りけむ」」といふ。これはいでけうありて、「「その世繼には又やあひ給へりし」」といへば、「「後三條院生れさせ給ひてなむあひて侍りし」」といへば、「「さてさていかなる事か申されけむ。そのかみごろも、みゝも及ばず承り思う給へし。その後さまざま興ある事も侍るを聞かせ給ひけむ。まことに今の世の事とりそへてたまはせよ。あはれいく年にならせ給ひ侍りぬらむ」」といへば、「二のまひの翁にてこそは侍らめ。さはありときかむと思しめさばすこぶる申し侍らむ。まづその年萬壽二年きのとの丑の年今年つちのとの亥の年とや申す。八十三年にこそなりにて侍りけれ。いでや何ばかり見聞きたる事のなさけも侍らず。かの世繼の申されし事も耳にとゞまるやうにも侍らざりき」」といへば、法師、「「いでいでさりとも八十三年の功德のはやしとは今日の講を申すべきなめり。今もむかしもしかぞ侍りし。二のまひの翁ものまねびの翁、僧らが申さむことを正敎になずらへて誰も聞しめせ」」といへば、翁「きこしめしどころも侍るまじけれど、かくせちにすゝめ給へば、今はのきざみにをこのものに笑はれ奉るべきにこそ。見聞き侍りしは、後一條院長元九年四月十七日うせさせ給へる、保天下二十一年、そのほどいらなく悲しき事多く侍りき。中宮はやがておぼしめし歎きて、おなじ年の九月六日うせさせ給ひにし。上東門院おぼしめし歎きしかど、これにも後れ奉らせたまひて、一品の宮さきの齋院をこそはかしづき奉らせ給ひしか。院のおほん葬送の夜ぞかし、常陸の國の百姓とかや、

  「かけまくもかしこき君が雲のうへにけぶりかゝらむものとやは見し」。