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に立ちかへりあひたる心ちして、又々もいへかしと、さしいらへこと問はまほしき事多く、心もとなきに、「「講師おはしましにたり」」と立ち騷ぎのゝしりし程に、かきさましてしかばいと口をしき、事はてなむに人つけて家はいづこぞと見せむと思ひしも、例のなからばかりが程に、その事となくとよみとてかいのゝしり出できて、居込みたりつる人も皆くづれ出づるほどに紛れていづれともなく見まぎらはしてし口をしさこそ、何事よりもかの夢の聞かまほしさに居所も尋ねさせむとし侍りしかども、ひとりひとりをだにえ見つけずなりにしよ。まことまこと御門の母きさいの御もとに行幸せさせ給ひて、御輿寄することは深草の御時よりありけることとこそ。それがさきはおりて乘らせ給ひけるを后の宮「行幸のありさま見奉らむ。唯寄せて奉れ」と奏せさせ給ひければ、その度さておはしましけるより、今はよせてのらせたまふとぞ。皇后宮の大夫殿書きつがはれたる夢なり。この年ごろ聞けば、百日千日の講行はぬ家々なし。老いたるも若きも後の世のつとめをのみ思し申すめるに、一日の講も行はず、唯つらつらといたづらに起きふしてのみ侍る罪ふかさに、ある所の千日の講、卯の時になむ行ふと聞きて參りたりけるに、人々所もなく車もかちの人もありけむ。やゝ待てど講師見えず、人々のいふを聞けば、「「今日の講は夕つ方ぞあらむ」」などいふに、歸らむも罪えがましくおもふに、百とせばかりにやあらむと見ゆる翁の居たる傍に、法師のおなじほどに見ゆる、人の中を分けてきてこの翁に「いとかしこく見奉りつけてあながちに參りつるなり。そもそもおまへは一とせ世繼の菩提講にて物語し給ひしに、あながちに居寄りて、あとうち給