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をきこしめして、四日二日なりしかばまだしのびねの頃にて、いみじう興じおはします。貫之召しいだして歌つかうまつらせ給へり。

  「ことならはいかゞなきけむ郭公このよひばかりあやしきぞなき」。

それをだにけやけき事に思ひたまへしに、おなじ御時に御あそびありし夜、御ぜんのみはしもとに躬恆をめして、「月をゆみはりといふこゝろは何のこゝろぞ、これがよしつかうまつれ」とおほせ事ありしかば、

  「てる月を弓はりとしもいふことは山邊をさしていればなりけり」

と申したるをいみじう感ぜさせ給ひて、おほうちぎたまはりて肩にうちかくるまゝに、

  「白雲のこのかたにしもおりゐるはあまつ風こそ吹きてきぬらし」。

いみじかりしものかな。さばかりのものを近う召しよせて勅祿賜はるべきことならねど、譏り申す人のなきも、君の重くおはしまし、又躬恆が和歌の道に免されたることこそ思ひ給へしか。かのあそびどもの歌よみしを感じ給へるはさぞ侍る。院にならせ給ひ、都離れたる所なればといふこそあまりにおよすけたれ」」。この侍問ふ、「「圓融院紫野の子日のひ、曾禰好忠いかに侍りけることぞ」」といへば「「それいと希有に侍りしことなり。さばかりの事に上下をえらばず和歌を賞せさせ給はむことげに口をしき事に侍れど、かくろへて優なる歌をよみ出さむだにいと無禮に侍るべき。殊に座にたゞつきにつきたりし、あさましき事ぞかし。小野宮殿、閑院大將殿などぞかし、ひきたてよひきたてよとおきてさせ給ひしは。躬恆が別祿たま