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のなかに遠く居させ給へりしを、多かりし人のなかより延びあがり見奉りて、およびをさして物を申しゝかば何事ならむと思ひ給へしを、後にうけたまはりしかば、貴臣よと申しけるなり。あるはいと若くおはします程なりかしな。いみじきあざれ事どもに侍れど、誠にこれは德入りたる翁どもに候ふ。などか人のゆるさせ給はざらむ。又拙き下﨟のさる事もありけるはときこしめせ。亭子院の河尻におはしましゝに、しろ女といふあそびもの召して御覽じなどせさせ給ひて「遙に遠く侍ふよし歌に仕うまつれ」と仰事ありければ、よみて奉りし、

  「濱千鳥とびゆくかぎりありければ雲たつ山をあはとこそみれ」。

いといみじうめでさせ給ひて、ものかづけさせ給ひき。

  「命だに心にかなふものならばなにかわかれのかなしかるべき」。

このしろ女がうたなり。又鳥飼の院におはしましたる、例のあそびどもあまた參りたるなかに、大江の玉淵が娘のこよなくかたちをかしげなれば、あはれがらせ給ひて、うへに召しあげて、「玉淵はいとらうありて歌などよくよくみき。このとりかひといふ題を人々のよむに、おなじ心に仕うまつりたらば、誠の玉淵が子とはおぼしめさむ」と仰せ給ふ。承りて、即、

  「深綠かひある春にあふときはかすみならねどたちのぼりけり」

などめでめでたがりて御門よりはじめ奉りてものかづけたまふ」」ほどの事、南院の七郞君にこゝろむべき事など仰せられけるほどなど委しくかたる。「「延喜の御時古今撰ぜられしをり貫之はさらなり、忠岑や躬恆などは御書所に召されて候ひるけほどに、櫻の木に郭公の鳴く