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でまかりかへらむとおもう給ふるなり。今日この御堂に影向し給ふらむ神明冥道たちも聞しめせ」」とうちいひて、したりがほに扇うちつかひつゝ見かはしたるけしきことわりに、何事よりもおほやけわたくしうらやましくこそ侍りしか。「「さてもさても繁樹が年かぞへさせたまへ。たゞなるよりは年を知り侍らぬが口惜しきに」」といへば、侍「「いでいで」」とて、「「十三にておほき大殿にまゐりきとたのまへば、十ばかりにて陽成院おりさせ給ふ年はいますかりけるにこそ。これにて推し思ふに、あの世繼の主は今十餘年がおとゝにこそあめれば百七十には少し餘り、八十にも及ばれにたるべし」」など手を折りかぞへて「「いとかばかりのみとしどもは相人などに相ぜられやせし」」と問へば「「させる人にも見え侍らざりき。唯こまうどのもとに二人つれて罷りたりしかば、二人長命と申しゝかど、いとかばかりまで侍ふべしとは思ひかけ候ふべきことか。異ごと問はむと思う給へし程に、昭宣公の君達三人おはしましにしかばえ申さずなりにき。其ぞかし、時平のおとゞをば「御かたちすぐれ、心だましひかしこく、日本のかためと用ゐむに餘らせ給へり」と申す。枇杷殿仲平をば「あまり御心うるはしくすなほにて謟ひかざりたる事なくて、日本の小國にはおはせぬ相なり」と申す。貞信兵をば、「あはれ日本のかためやな。かく世をつぎ門を開く事唯この殿」と申したれば「我をあるが中にざえなく心てんごくなりと、かくいふはづかしきこと」と仰せらけるは。されどその儀にたがはずかどをひろげ榮花をひらかせ給へば、なほいみじかりと思ひ侍りて、又まかりたりしに、小野宮どのおはしましゝかばえ申さずなりにき。ことさらに怪しき姿をつくりて下﨟