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さばかりのざえはいかでか侍らむ。唯見聞き給へし事を心に思ひおきて、かくさかしがり申すにこそあれ。まことに人にあひ奉りては、思し咎め給ふことも侍らむとはづかしうおはしませば、事はおいの學問にも承りあかさまほしうこそ侍れ」」といへば繁樹も「「たゞかうなりかうなり。さらむをりは必ず吿げ給ふべきなり。杖にかゝりても參りあひ申し侍らむ」」とうなづきあはす。「「たゞしさまでのわきまへをばせぬ若き人々は、そら物語する翁かなとおぼすもあらむ。我が心におぼえて一言も空しき事加へて侍らば、この御寺の三寶今日の座の戒わしやうに請ぜられ給ふ佛菩薩を證とし奉らむ。中にも若うより十戒の中に妄語をば保ちて侍る身なればこそ命もたもちて候へば、今日この御寺のむねとそれを授け給ふ。講の庭にしも參りてあやまち申すべきならず。大かた世のはじめは人の壽は八萬歲なり。それがやうやう滅しもていきて百歲になる時に佛いでおはしますなり。されど生死の定なきよしを人にしめし給ふとて猶二十年つゞめて八十と申しゝ年入滅せさせ給ひにき。その年より今年まで一千九百七十三年になり侍りぬる。釋迦如來滅したまふを期にて八十に究むべけれども、佛の命を不定なりと見せさせ給ふにや、この頃も九十百の人おのづから聞え侍るめれどこの翁どもの命はまれなる事甚深甚深希有希有なりとはこれを申すべきなり。いとむかしはかばかりの人侍り。神武天皇をはじめ奉りて二十餘代までの間に十代ばかりがほどは百歲百餘歲までは持ち給へる御門もおはしましたれど、末代にはけやけき命もちて侍る翁どもなりかし。かゝれば前生にも戒をうけたもちて候ひけると思ひ給ふれば、この生にも破ら