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吹きまろびて、東大寺大佛殿の御まへにおとしたりけるを春日の御まへなるものゝ源氏の氏寺にとられたるを、よからぬ事にやとこれをもてそのをり世ひと申しゝかど、永く御末つがせたまふは吉相にこそはありけれとぞ覺え侍るな。夢も現もこれはよきことゝ人申せど、させることなくてやむこと侍り。かやうにあやしだちて見給へ聞ゆる事もかくよき事も候ふな。まことに世の中にいくそばく哀にもめでたくも興ありて、うけたまはり見給へ集めたることの數しらず積りて侍るが翁どもとか人々思しめす。やんごとなくも又下りても、ま近くみす簾垂の內ばかりやおぼつかなさ殘りて侍らむ。それなりともおのおの宮殿ばら次々の人のあたりに、人のうち聞くばかりの事は女房わらはべ申し傳へぬやうやは侍る。さればそれも不意に承らずしも候はず。されどそれをば何とかは語り申さむずる。唯世にとりて人の御耳とゞめさせ給ひぬべかりし昔の事ばかりをかくかたり申すだに、いとをこがましげに御覽じおこする人もおはすめり。今日は唯殿のめづらしう興ありげにおぼして、あとをよううたせ給ふにはやされ奉りて、かばかりも口あけそめて侍ればなかなかのこりおほく、又々申すべき事はごもなく侍るを、若しまことに聞しめしはてまほしくば駄一疋をたまはせよ。はひのりて參り侍らむ。かつは又やどりに參りて殿の御才學のほども承らまほしう思ひ給ふるやうは、いまだ年ごろかばかりもさしらひし給ふ人に對面たまはらぬに、時々くはへさせ給ふ御ことばのみ奉るは、翁らがやしは子のほどにこそはと覺えさせ給ふに、このしろしめしなる事どもは、思ふにふるき御日記などを御覽ずるならむかしとこゝろにくゝ、下﨟は