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宮とはこがねづくりの御車にて、まうち君たちのやんごとなき限えらせ給へる御まへ具し申させ給へりき。御車のしりには皇后宮の御めのと維經のぬしの御母、中宮の御めのと兼安實任ぬしの御母こそ侍ひけれ。殿の君達まだ男にならせ給はぬわらはにて皆仕うまつらせ給へりき。ついでなきことに侍れど、物のけと人の申しゝ事どものさせる事なくてやみにしはさきの一條院の御即位の日、大極殿の御裝束すとて人々あつまりたるに、たかみくらの內に髮つきたるものゝかしらのちうちつきたるを見つけたりける、あさましくいかゞすべきと行事思ひあつかひて、かばかりの事を隱すべきかはとて、大入道殿に「かゝる事なむ候ふ」となにがしのぬしして申させけるをいとねぶたげなる御けしきにもてなさせ給ひて物も仰せられねば、もし聞しめさぬにやとて、又御けしきたまはれど、うちねぶらせ給ひて猶御いらへなし。いとあやしく、さまで御殿籠り入りたるとは見えさせ給はぬに、いかなればかくておはしますぞと思ひて御前に侍ふにうち驚かせたまふさまにて「御裝束ははてぬなりや」と仰せらるゝに、聞かせ給はぬやうにてあらむと思しめしけるにこそと心えて、たちたうびける。げにかばかりのいはひの御こと、又今日になりてとまらむもいまいましきに、やをら引き隱してあるべかりける事を、心もなく申すものかなと、いかにおぼしめし候ふらむと後にぞその殿もいみじく悔しがり給ひける。さる事なりかしな。さればなでふの事か坐します。よき事にこそありけれ。又大宮のいまだをさなくおはしましける時、北の政所具し奉らせ給ひて春日にまゐらせ奉りけるに、おまへのものどもの參らせすゑたりけるを、俄につじ風の