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りなましや。猶かやうの魂しひある事はすぐれたるみばうぞかし」とこそほめ給ひけれ。まことに承りしにをかしくこそ侍りしか。これは又聽聞の衆どもさゝと笑ひてまかり歸りにき。いと輕々になる徃生人なりやな。むげによしなし事に侍れど、人のかどかどしくたましひあることの興ありて、いうに覺え侍りしかばなり。法成寺の五大堂の供養しはすには侍らずやな。極めて寒かりし頃、百僧なりしかば御堂の北の廂にこそは題名僧の座はせられたりしか。その料にその堂の庇はいれられたるなり。わざとの僧膳はせさせ給はで、ゆづけばかりたぶ。行事二人に五十人づゝ分たせ給ひて、僧座せられたる御堂の南おもてに鼎をたてゝ湯をたぎらかしつゝ、おものを入れて、いみじう熱くて參らせ渡したるを、ぬるくこそはあらめと僧たち思ひてざふざふと參りたるぞ、はしたなききはに暑かりければ、北風はいとつめたきにさばかりにはあらでいとよくまゐりたるみ房たちも今はさはしけり。後に「北むきの座にていかに寒かりけむ」など殿の問はせたまひければ「しかじか候ひしかば、こよなくあたゝまりて寒さも忘れはべりき」と申されければ、行事だちをいとよしと思しめしたりけり。ぬるくてまゐりたりと別の勘當などあるべきにはあらねど、殿を始め奉りて人にほめられ、行く末にもさこそありけれといはれたうばむは、たゞなるよりは惡しからずよき事ぞかし。いで又故女院の御賀にこの關白殿陵王、春宮大夫殿なつ蘇利舞はせ給へりしめでたさをいかに、陵王はいと氣高くあてに舞はせ給ひて祿賜はらせ給ひてもまひすてゝ、知らぬさまにて入らせ給ひぬる美くしさめでたさにならぶ事あらじと見參らするに、なつそりのいと