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りとおぼ〈びイ〉えつゝ、御車より急ぎおりつゝ皆參り給ひし。大臣二人は左右の御車のどうおさへて立たせ給へり。東三條殿、一條左大臣殿よ。さて納言以下は轅のこなたかなたにゐなませ給ふ。殿上人は御車のしり轅のかたに侍ひたまふ。なかなかうるはしからむ事の作法よりもめでたく侍りしものかな。舞人陪從はみな乘りてわたるに、時中源大納言のいまだ大藏卿と申しゝをりぞつかひにておはせし。御車の前近くたちとゞまりて、もとめこを袖のけしきばかり仕うまつり給ひてついゐたまひしまゝに、御片袖を顏におしあてゝ侍ひ給ひしかば、かうなる御扇さし出させ給ひて、「はやう」とかゝせ給ひしかば、少しおしのごひて立ち給ひしが、すべてさばかり優なる事又候ひなむや。げに哀なることざまなれば、人々も御けしきばかり院の御まへにもすこし淚ぐみおはしましけりとぞ後にうけたまはりし。神泉のうしとらのすみの垣の內にて見給へしなり。又若く侍りしをりも、佛法うとくて世のゝしる大法會ならぬにはまかりあふこともなかりしに、まして年積りては動きがたく候ひしかど、參河入道殿の入唐のうまのはなむけの講師、淸昭法橋のせられし日こそまかりたりしか。さばかり道心の無きものゝ始めて心起ることこそ候はざりしか。まづは神分の心經表白のたまひて鐘うち給へりしに、そこばく集まりたりし萬人さとこそ泣きて侍りしか。其は道理の事なり。又淸範律師犬のために法事しける人の講師に請ぜられていくを、淸昭律師同定の說法者なれば、いかゞすると聞くに、かしらつゝみて誰ともなくて聽聞しければ、「只今や過去聖靈は蓮臺のうへにてほとほえ給ふらむ」とのたまひけるを、「さればこそ、こと人はかく思ひよ