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任、行成、俊賢など申す君たちはまたさらなり。さて又おほくのみものし侍りし中にも花山院の御時の石淸水の臨時祭、圓融院の御覽ぜしばかり興ある事候はざりき。そのをりの藏人のとうにては今の小野宮の右大臣殿ぞおはしましゝ。御前の事はてけるまゝに、院はつれづれにおはしますらむかしと思しめして參らせ給へりければ、さるべき人もさぶらひ給はざりけり。藏人判官代ばかりしていといとさうざうしげにておはします。かく參らせ給へるをいと時宜善う思しめしたる御けしきをいとあはれに心苦しう見參らせさせ給ひて、「物御覽ぜよ」など御けしきたまはらせ給へば、「俄にはいかゞあるべからむ」とおほせられけるを、「かくて實資侍へば又殿上に侍ふをのこどもばかりにてあへるなむ」とそゝのかし申させ給ふ。御まやの御馬ども召して、さぶらひしかぎり御前つかうまつり、頭中將束帶ながら參りたまふ。堀川の院なれば程近くいでさせ給ふに、物見車ども二條大宮の辻に立ちかたまりて見るに、布衣衣冠なる御前したる車の、いみじう人はらひ、なべてならぬいきほひなるがくれば、誰ばかりならむと怪しく思ひあへるに、頭中將したがさねの尻はさみて、うつしおきたる馬に乘りておはするに院の坐しますなりけりと見て、車どもゝかち人も手惑し立ち騷ぎていと物騷がし。二條よりはすこし北によりて、冷泉院のついぢづらに御車たてつ。御前どもおりてさぶらひなみ給ふほどに、內より見物につゞき出で給ふ上達部たちの見給ふに、大路のいみじくのゝしれば、怪しくて「何事ぞ」と問はせ給ふに、「院のおはしますなり」と申しけるを、世にあらじとおぼすに「頭中將殿もおはします」といふにぞ、まことなりけ