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なけれども、天下の大事なりとて御出立の所にはおはしまさず、我が御殿の前わたらせ給ひし程に、ひきいでゝ具し申させ給ひしなり。この生に御珠數とらせ給ふ事はなくて、唯每日に南無八幡大菩薩、南無金峰山金剛藏王、南無大般若波羅密多心經とふゆの御扇をかずにとりて一百八遍づゝぞ念じ申させ給ひける。それよりほかの事勤めさせ給はず。四條大宮の太后宮にかくなど申す人のありければ、聞かせたまひて、「なつかしからぬ御本尊かな」とぞおほせられける。この殿はあらたにおふるをば、なべてのやうに謠ひ返させ給ひければ、一條院の御時の臨時の祭に御まへのことはてゝ、上達部だちの物見にいで給ひしに、外記のすみの程過ぎさせ給ふとて、わざとはなくて口ずさみのやうに謠はせ給ひしが、なかなかいうに侍りし。とみくさの花手につみいれて、宮へまゐらむのほどを、例のには變りたるやうに承りしかば、とほきほどに、老のひが耳にこそはと思ひたまへりしを、この按察大納言殿もしかぞのたまはせける。殿上人にてありしかば遠くてよりも聞かざりき。「變りたるしやうのめづらしうさまかはりて覺えしは、あの殿の御事なりしかばにや、又も聞かまほしかりしかど、さもなくてやみにしこそ今に口をしくおぼゆれ」とこそのたまふなれ。この大臣殿たちの御おとゝの大納言優に坐しましき。大かた六條宮の御子どもの皆めでたくおはしましゝなり。御法師子は廣澤の僧正、勸修寺の僧正二所こそはおはしましゝか。大かたそのほどにはかたがにつけつゝ、いみじき人々のおはしましゝものをや」」といへば、「「このころもさやうの人はおはしまさずやはある」」とさぶらひのいへば、「「この四人の大納言たちよ、齊信、公