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の一條殿六條殿たちは六條一品式部卿の御子どもにおはします。寬平の御孫なりとばかりは申しながら、人の御ありさまいうそくにおはしまして、いづれをも村上の御門時めかし申させ給ひしに今すこし六條殿をば愛し申させ給へりけり。兄殿はいとあまり麗しく、公事より外の事は多分にはませさせ給はで、ゆるぎたる所の坐しまさゞりしなり。おとゝ殿はみそか事には無才にぞおはしましゝかど、わからかにあいぎやうづき、なつかしき方はまさらせ給へりしかばなめりとぞ人申しゝ。父の宮は出家せさせ給ひて仁和寺におはしましゝかば、六條殿修理のかみにて坐しましゝ程なれば、仁和寺へ參らせ給ふゆきかへりの道を、一度は東大宮より上らせ給ひて一條より西ざまにおはしまし、又一度は西大宮より下らせ給ひて二條より東ざまなどに過ぎさせたまひつゝ、內裏を御らんじて、やぶれたるところあれば修理せさせ給へり。いと手きゝたる御こゝろばへなりな。又一條殿の仰せられけるは、「親王たちのなかにて世の案內もしらず、たづきなかりしかば、さるべさ公事の折は人よりさきにまゐり、事はてゝも最末にまかりいでなどして、見ならひしなり」とぞのたまはせける。八幡放生會には御馬奉らせ給ひしを、御使などにも淨衣をたまはせ、御みづからもきよまはらせ給ひしかばにや、お前近き木に山鳩のかならずゐて、ひき出づるをりに飛びたちければ、かひありと喜び興ぜさせ給ひけり。御心いとゞうるはしくおはします人の、信をいたさせ給ひしかば大菩薩のうけ申させ給へりけるにこそ、一とせのひでりの御いのりにこそは。東三條院の御賀茂詣せさせ給ひしには、この一條殿も參らせ給ひき。大臣にならせ給ひぬればさる例