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まし」」とてこゝろよくわらふ。げにと聞えてをかしくもあり、聞くもうつゝの事とはおぼえず。「「あはれ今日具して侍らましかば、女房たちの御耳に今少しとまる事どもは聞かせ給ひてまし。私のたのむ人にては、兵衞內侍の御おやをぞし侍りしかば、內侍のもとへは時々まかるめりき」」といふに、「「こはたれにか」」といふ人のあれば、「「いでこの高名の琵琶ひきよ。すまひの節に玄上たまはりて、御前にて靑海波仕うまつられたりしはいみじかりしものかな。博雅三位などだにおぼろげにはえならし給はざりけるに、これは承明門まで聞え侍りしば、左の樂屋にまかりて承りしぞかし。かやうに物のはえかひがひしき事どもゝ、天曆の御時までなり。冷泉院の御代になりてこそ世にくれふたがりたるこゝちし侍りしか。世の哀ふることもその御時よりなり。小野宮殿も一の人と申せど、よそ人にならせ給ひて、若く華やかなる御をぢだちにうちまかせ奉らせ給ふ。又みかどはた申すべきにあらず。あはれに候ひける事、村上うせおはしまして、またの年小野宮に人々まゐり給ひて、いと臨時客などはなけれど、嘉辰令月などうち誦せさせ給ふついでに、一條左大臣殿、六條殿など柏子とりてむしろ田うちいでさせ給ひけるに「あはれ先帝のおはしまさましかば」とて御笏もうちおきつゝあるじ殿を始め奉りて事忌もせさせたまはず、うへの御衣どもの袖ぬれさせ給ひにけり。さる事なりや。何事も聞き知り見わく人のあるはかひあり、なきはいと口惜しきわざなり。今日かゝる事ども申すもわどのゝ聞きわかせ給へば、いとゞ今少しも申さまほしきなり」」といへば、さぶらひもあまえたりき。「「藤氏の御事をのみ申し侍るに、源氏の御事も申し侍らむ。こ